project story

01台風19号からの復旧

台風で被災した箱根の交通を守れ!
箱根登山鉄道 復旧プロジェクト
台風19号からの復旧

〈 OUTLINE 〉

2019年10月、日本を襲った台風19号は観測史上最大の雨量で箱根に甚大な被害を及ぼした。箱根の重要な交通である箱根登山電車でも線路が土石流に埋まり、陸橋が崩れるなど複数個所で大きな被害を受け、箱根湯本~強羅間が運休に。全線復旧には約9カ月を要した。その間、代替輸送で箱根の交通を支え続けたのが当時鉄道部の課長であった大木賢治だ。ここでは、箱根登山電車復旧までの道のりを辿る。

OUTLINE

1994年入社。ホームページの管理、貸切バスの業務を担当の後、鉄道部に異動。強羅管区長、箱根湯本駅長などを歴任する。その後鉄道部課長として箱根登山鉄道の駅・営業関係の運営責任者を務め、2019年の台風19号被災時には、登山電車運休期間の代替バス輸送の責任者として手配に奔走する。その後施設事業部部長、箱根登山バス役員を経て、現在は小田急箱根の総務・人事部長を務める。趣味はカワセミの写真撮影ほか。

総務・人事部長 (鉄道部 課長(2019年当時))
Takaharu Ooki大木 賢治

episode001

線路がない!?
前代未聞の台風被害

2019年10月、中部から関東、東北にかけて記録的な大雨の被害をもたらした大型台風19号。箱根登山鉄道では鉄道部課長を務めていた大木を含め数人が、台風上陸前日から警戒要員として会社で待機していた。そんな折、小涌谷付近に住む社員から送られてきた動画に大木は驚いた。

「国道1号線は雨が茶色の激流となって走り、そのまま小涌谷の踏切へと流れこんでいました。踏切の定点カメラの観測では線路は全く見えず、電車の運休はやむを得ない状況でしたが、過去の例から考えると2~3日ほどで通常運転に戻れるかもしれないとそのときは考えていました」

だが、報告を受けた線路の被害状況は想像を超えたものだった。

「線路がありません」
「え? 線路がないってどういうこと?」

山の崩落によって小涌谷駅近くの蛇骨陸橋が流され、線路が大きく捻じ曲げられて沢へと落ち込んでいたのだ。そのほか、大沢橋梁では大量の岩石が線路上に堆積。そのほか倒木、土砂の流入、路面下の土砂の流出など、被害は全線で21カ所にもおよんでいた。

「会社に入って25年。箱根で線路がなくなるほどの災害は聞いたことがありませんでした。あのときはあまりの惨事に、もう箱根登山電車は2度と動かないんじゃないか、という声も社内外から聞こえていました」

しかし大木は「必ず元の姿に戻る」と信じていた。

「被災後すぐに社長から復旧に動こうという声がかかりました。さらに小田急電鉄の社長も直接鉄道部に来られて、必ずバックアップするからみんな頑張ってほしいと声をかけてくださった。トップがこれだけ本気ならできないことはない、と復旧を信じる心の拠り所になりました」

ここから鉄道部は総力をあげて復旧に取り組むことになる。

episode002

箱根のお客さまの足を止めない。
バス輸送にかけた使命

箱根登山電車の復旧は、大きく3つのチームで動くことになった。
線路の設備復旧チーム、運休中の代替輸送手配チーム、そして運転再開準備チーム。大木は代替輸送手配チームの責任者として、メンバー6人とともにバス輸送の手配を行っていくことになる。

10月下旬から11月中旬の箱根は紅葉シーズン。一年の中でも観光客でにぎわう季節だ。台風直後とはいえ、箱根の自然やホテルを楽しみに訪れる人の数は多く、さらにインバウンドの観光客も増え続けているなか、箱根山中までの交通を止めるわけにはいかない。大木たちは鉄道復旧に時間のかかる箱根湯本駅~強羅駅間のバス振替輸送のために、箱根登山バスをはじめとする箱根地域の主要バス会社に協力を要請した。

「本当にありがたかったのは、『なにかあったら最優先でバスを用意するから、遠慮なく言ってほしい』といろんな方に言っていただいたことでした。神奈川県バス協会さんも被災状況を聞いた時点で、協会の会員のみなさんに協力の声をかけていただきました。これまで貸切バスの仕事もしていたのでそのときのつながりにもとても助けていただきました」

振替輸送はさまざまな調整業務もある。既存のバス運賃と鉄道運賃との整合性の調整、バス乗換案内の作成、事前告知の手配などだ。その中でもバス運行のダイヤ作成は苦心の連続だった。

「とにかく難しかったのが、小田原駅から箱根湯本駅に到着した電車との接続でした。電車の輸送力はバスに比べて圧倒的に大きい。箱根湯本駅に到着した大勢のお客さまをスムーズにバスに乗り換えていただくためには、乗り換え時間も踏まえて分単位でのバスを手配しなければなりません。特に紅葉、箱根駅伝、桜の季節などはバスの増便が必要です。駅と連携して調整を続ける日々でした」

できるだけお客さまをお待たせすることがないようバスを潤沢に手配したいが、一方で箱根湯本駅から強羅駅の区間の鉄道収入がないこともあり、際限なくバスを手配することはできない。4月以降は新型コロナによる緊急事態宣言のため、さらにバスの本数の大きな見直しを迫られることに。結果、登山電車の復旧までの約9カ月の間にダイヤ改正は13回にもおよんだ。

episode003

強羅駅にバス乗降場を。
地元の協力を得て実現

箱根登山電車を利用するのは観光客だけではない。箱根山内にある学校に通う学生たちの足でもある。毎日の通学に登山電車は欠かせない存在だ。

また強羅駅は登山電車の終点であり、ケーブルカー乗り継ぎとなる観光の要所。バスの乗り入れは必須だったが、強羅駅前は道が狭くバスのターミナルとなる場所の確保が必要だった。

「強羅駅近くにバスが駐車できるスペースを探さなければなりませんでした。かつて強羅管区長を経験しており土地勘や人脈もあったので自分自身の知見やつながりも総動員して取り組みました。また、不動産担当の部署に駐車場の候補地を探してもらったり、強羅観光協会に協力を求めて施設に声をかけていただいたり、多くの方々のお力をお借りしたおかげで、なんとか近隣ホテルの大きめの駐車場をバス乗降場として確保できました」

地元の協力なしでは強羅駅へのバス乗り入れは不可能だった。

「強羅地区のみなさんが協力してくださり、関係者に声をかけていただいたおかげで本当にスムーズにバス駐車スペースを確保することができたんです。これだけの協力をいただける箱根登山電車は地元に根付いた存在なのだと改めてうれしく思いました」

episode004

復旧への原動力は「電車を動かす」
という一人ひとりの使命感

箱根登山電車の再開は線路の復旧工事にかかっている。が、被災当初は復旧に1年かかるのか、それ以上になるのかわからない状態が続いていた。全社員がそれぞれのやるべきことに取り組んでいたが、何よりもストレスになったのはこの状況がいつまで続くのかわからないという状況だった。

「被災から3カ月経った時点でも『早くても復旧は1年後かもしれない』と、予測していました。いつまでこの状態が続くのか、終わりが見えないことが気持ちの上で一番のストレスでした。そんななかでもみんなを支えたのは、一刻もはやく電車を動かすという社員一人ひとりの使命感だったと思います」

電車の乗務員や駅員は振替輸送のために慣れないバス停に立ち、お客さまを誘導した。13回にわたるバスのダイヤ改正があったため、自分の持つ情報は最新のものに更新されているか、お客さまへの案内にも気を遣う。そうしたイレギュラーな仕事が続く中でも、工夫をして改善をすすめていた。

「お客さまが電車とバスの移動をスムーズにできるよう、整列方法を変えたり、ルールを新たに作ったり、細かいところまで日々改善を重ねてくれました。現場のたくましさを頼もしく感じました。また、再開日が決まって試運転が始まったころは本当に忙しい日々が続きましたが、鉄道の仕事ができない期間があることで、改めて電車を早く動かしたいという気概が生まれたと思います」

また、鉄道とバスの社員が同じバス停に立つこともあり、これまであまり交流のなかったグループ会社との交流も生まれた、復旧への道のりの様々な経験は、社員それぞれが鉄道という仕事を改めて見つめる機会にもなっていった。

episode005

箱根全体で喜びを分かち合った
復旧セレモニー

箱根登山電車は台風で損壊した陸橋や線路の復旧工事を急ピッチで進め、約9カ月後の2020年7月23日、無事に全線の運転再開の日を迎えた。当日はセレモニーが盛大に行われ、復旧を祝う臨時記念列車が走行。

臨時記念列車で大木はある企画を仕掛けていた。貸切車両3両のうち1両を使用し、そこに2020年3月に卒業した学生たちを招待したのだ。

「沿線の学校に通う学生さんは、通学に登山電車を使います。でも台風で学生生活の最後の数カ月を登山電車に乗ることができずに卒業を迎えてしまった。それが残念でならないと学生さんが涙していた、という話を強羅管区長から聞いていたんです。そこで、卒業生たちをご招待して復活した登山電車に乗ってもらいたいとこのイベントを企画したんです」

学校から卒業生に声をかけてもらったところ、ほぼ全員がセレモニーに参加してくれた。折しも、緊急事態宣言で人に会うこともままならなかった時期。登山電車の復旧と、久しぶりに友人に会えた喜びで、卒業生たちの集まりは大いに盛り上がった。

「こういう場を作ってもらったことがうれしいとすごく喜んでいただき、本当に企画してよかったと思いました。この企画は私が提案した旨をお話ししたら大拍手をいただいたことも忘れられません」

セレモニーには小田急グループ以外を含め、系列を問わず全箱根地区から関係者が集まった。そして臨時記念列車の車窓から見えたのは、復旧を祝って電車に手を振るたくさんの箱根の施設の人々やお客さまの笑顔だ。

「『電車は1人では動かすことはできない。チームで動かすもの』という思いで仕事に取り組んできました。でも、電車は会社のチームだけじゃなく、お客さまや地域のみなさまも一緒になって動かしているのだと改めて実感したセレモニーでした。大変な試練でしたが、今は、すごくいい経験になったと感じています」

これからも箱根登山電車は箱根観光を支える中心的存在として、力強く走り続ける。